戦争を生き延びた祖父達と名古屋の広い道路
僕の出身地、名古屋には片側5車線ともいわれる凄く幅の広い道路が走っている。
私の祖父は戦争の時代に生まれたが、運良く父方の方も母方の方も出征しなくてすんだ。
父方の祖父は生まれつき足が悪く上手く歩けなかった。母方の祖父は肺炎で生死の境を彷徨っていたからだ。
身体の不調ゆえに生き残れたというのは皮肉である。
身体が弱かったのは僕の祖父達だけの特別な運命とか奇跡のように聞こえるが、おそらく現在のどの家庭でも戦時中に生きていた先祖にはそういった奇跡が起こっていたのだろう。
そうでなければ、あの戦争を生き残れるとは思えない。
両方とも戦後、事業を興し、身体に問題があったとは思えないほどパワフルに人生を生き、自動車関係の事業を行い、名古屋の復興を支えた。
ちょっとエキセントリックなところがあって周りに迷惑をかけたこともあったらしいが、その力強く生きた姿を誇りに僕は思っている。
名古屋の広い道路を走る沢山の自動車を見る度に、戦争と祖父達を僕は思う。